花・木をあしらった紋です。 植物の種類は約100種類以上有ります。 植物の実・花・立木・花弁等が描かれています。
もともとは二葉葵紋または加茂葵紋と呼ばれ、京都は加茂社の神紋であり加茂社と縁の深い神社はすべてこの紋を用いています。 三河国松平郷が賀茂神の神領で、松平氏の流れを汲む徳川家は、 将軍家の権威そのものとし、徳川一族以外には御法度となっていたようです。
麻は古くから重要な衣料のひとつです。木綿が広まるまでは衣料の中心で、全国で栽培されていました。 人々の生活に密着していましたから、家紋だけではなく、建築・染織・漆工など、衣類や調度品の模様としても幅広く用いられました。
朝顔の原産はヒマラヤの山地で、日本には遣唐使によってもたらされました。 紋章としては江戸時代中期以降に図案化されたようです。 夕顔は「源氏物語」に登場することから、源氏車紋との組み合わせで使われています。
湿地に生息するイネ科の植物で、関西地方ではヨシともいいます。 アシを「悪し」、ヨシは「良し」と言い換えるたそうです。 楚々とした形に人気があり、豊臣秀吉のものといわれる鞍やアブミにも葦の模様が描かれたそうです。
菖蒲はもともと中国から伝来した行事「端午の節句」に欠かせない邪気払いの植物としてよく知られており、 平安時代から文様として使用されています。
かつて稲とともに主食であったため「稲紋」と酷似していて見分けづらい紋章となっています。
銀杏は元々、外来植物で宋の国から日本へ伝わりました。古来から神木として祭られる事が多く長寿のシンボルになっています。 日光東照宮にも銀杏紋がみられ、徳川氏が松平氏に入婿し葵紋を掲げる以前は銀杏紋であったという説もあります。
古来より稲は主食であり、日本人に最も身近な植物です。 元来、農業の守神である熊野神社に奉仕する神官・氏子などに用いられ、熊野信仰の普及にともなって全国に広まりました。 五円硬貨にも描かれている日本独自の文様です。
梅は古来、中国では菊・竹・蘭と並び四君子のひとつとして好まれていました。 菅原道真公が天神様を祭り、梅を好んだといわれています。 道真公が梅紋を使用したという記録はありませんが、 京都北野天満宮の「梅星」、東京の湯島天神の「梅鉢」、 福岡の太宰府天満宮は「梅花」の紋を使用しています。 意匠的に写実的なものを「梅花紋」、幾何学的なものを「梅鉢紋」として区別されています。
文様としては古く唐時代に日本へ伝来しました。 瓢は神霊が宿る縁起物といわれています。
車前草は古くから生薬として親しまれていました。 牛車・馬車が往来する道端に多く生息することから車前草といわれています。
沢瀉は、池・沢・田などに自生する水草で、日本十大紋の一つです。 古くは王朝時代に貴族の車や武具の文様として用いられ、やがて家紋に転じたものと云われています。 別名「勝ち草」とも呼ばれ、武家の紋章として普及しました。
杜若は花の姿がとても優雅で万葉集にも歌われています。 王朝時代に衣服や輿の装飾文様として公家に愛用されていました。 その後も武家には使われず公家に限られたそうです。
古代から和紙の原料にされ、神に捧げる神木として尊ばれ、その葉は神前供物の器の代用にもされました。 梶紋は信州諏訪神社の神紋であるため、諏訪神社信仰から全国に広まりました。 船の神棚に梶の葉が奉られるのは諏訪信仰の名残りだそうです。
梶の葉同様に、古代から柏の葉も神前供物の器代わりに用いられ、神聖なものとして尊ばれていました。 鎌倉時代には武家も紋章として用いるようになりました。
片喰は酢漿草・鳩酢草とも書き、日本十大紋の一つで桐紋についで広く愛用されています。 紋章としては平安、鎌倉時代から車や輿に多く用いられていました。 荒地や畑に群生する繁殖力の強い雑草で、子孫繁栄の意味があり武家にも愛用されました。 より武門を強調する剣を付けた剣片喰紋もあります。
桔梗は秋の七草のひとつで、美しく鮮やかな薄紫色の花が好まれています。 江戸時代、家紋を衣服につけるのは男性に限られていたので、婦人は桔梗の花を、線書きでやや小形にしてしたものを用いました。 そのため桔梗紋は代表的な女紋の一つとされています。 戦国時代に土岐氏の流れを汲む明智光秀や、坂本龍馬が用いたことは有名です。
中国において観賞用とされていた菊が、日本に伝来したのは平安時代中期で、古くは延命長寿の薬餌として用いられました。
また当時の流行文様として衣服や甲冑に用いられたともあります。
後鳥羽上皇がとくに菊を愛され、日常品にまで菊花紋を入れられたのは有名な話で、鎌倉時代末に皇室の私的な専用文様になりました。
昔は一般でも菊紋を用いていましたが、明治二年、菊花は皇室の紋章として制定されたため、一般人の使用は禁止されました。皇室紋章との類似を避けたためか、菊紋には多くのバリエーションが見られます。
菊水紋 中国古来の瑞祥思想に基づくものとされ、菊と水の流れの文様を組み合わせた菊紋の一種。楠木氏一族で有名な紋で種類は少ない。
古代中国では、桐の木は想像上の瑞鳥「鳳凰」がきて「聖天子誕生、聖天子誕生」と鳴くめでたい木とされていました。 そのため桐は聖天子のシンボルとなり、日本の皇室でも菊の紋章と並んで桐が副紋として使用されるようになりました。 菊紋についで名誉ある紋として尊重され、後醍醐天皇から足利尊氏が賜っています。 皇室が臣下へ、さらに下賜された武将がその臣下へ与えるというかたちで徐々に桐紋が増えていったようです。 また豊臣秀吉が家臣に与えたことから西日本に多く見られます。 花の数を単位とした五三の桐、五七の桐などがよく知られていますね。
葛は八月頃に紫色の花を咲かせます。 秋の七草の一つですから、風流を愛する古人が紋に取り入れたのでしょうね。 花をあしらったものや、葉をあしらったデザインがあります
胡桃は落葉高木で高さ20mにも育ちます。 木材としては、狂いが少なく粘りがあるので家具などに用いられますが、 私たちに馴染みが深いのは、やはりあの独特の風味をもつ果実ですね。 風流で楽しい紋の一つです。
河骨は睡蓮の仲間で池や小川に自生する多年生の植物です。 里芋によく似た葉をもち、春から夏にかけて黄色い花を咲かせます。 葵紋とよく似ていますが、葉脈が主脈から左右に出ている点が違います。
「花は桜木、人は武士」といいます。一陣の風に潔く散る風情が、情緒的な日本人好まれるのでしょう。 桜花は平安時代から装飾文様として広く用いられてきましたが、家紋としては江戸時代に登場と、案外新顔で使用家も少ないとされています。 家名がパッと散っては縁起が悪いと云うことかも知れませんね。 図形としては色々考案され、花弁の狭いものは桜井桜、広いものは細川桜とも呼ばれ、それぞれ大名に用いられました。
古来「松竹梅「と賞されるように竹はめでたいものと代表に置かれています。 奈良時代には既に文様として使用され、その積雪に耐える強靱な生命力が家紋にふさわしいとされたのでしょうか、 室町時代には家紋として普及しました。 竹笹紋は「竹紋・笹紋・根笹紋」に大きく分類され、主に孟宗竹や、若竹、熊笹、五枚笹などが図案の対象になっています。 上杉氏の影響により関東から北日本に多い家紋です。
比較的珍しい家紋のようです。バリエーションとして、梅・巴・船・菱などと組み合わされたユニークな図案のものが見られます。
棕櫚は温暖な九州地方の原産とされており、早くから観賞用に栽培されていたようです。 紋様としての起源は明らかでありませんが、室町時代には既に家紋になっていたようです。 やはりポピュラーでないためか、紋のバリエーションは少ないですが、なかなか雅な造形です。
古代に家紋として用いられた記録はなく、多くは明治以後に用いられたようです。 西洋では神話にも出てくる神秘的な花ですから、家紋として見てもどこか異国的な情緒が感じられますね。
杉は大木になる常緑樹であることから、松と同様に神木とされていました。 大和の三輪神宮は、杉をご神体としてを祀っており、三輪神を祖神とした大神氏が家紋として用いて普及しました。 その流れを流れを汲む幕末の緒方洪庵も杉紋を用いています。 また杉は目印とされ、杉葉が酒屋の看板であったことから、酒に関係した家でも多く用いられています。
日本十大家紋の一つ。 橘は蜜柑の原種で香気が強く、雪害に強くよく育つことから、人徳があり奥ゆかしい人を「橘のようだ」となぞらえたという逸話があります。 万葉集にも橘をたたえた歌がありますし、宮中の紫宸殿の庭には左近の桜とともに右近の橘が植えられていました。 桃の節句には桃の花とともに橘を飾る風習は現在にいたるまで続いています。 珍重される植物であったゆえに家紋に使われるようになったのでしょう。 橘紋は橘氏の代表紋であり、幕末の大老であった彦根の伊井氏も橘紋です。
家紋として成立した由来は定かでないとされています。 茶は霊験あらたかな高貴薬として伝来しましたから、その効用にあやかったという説もあります。 図形は橘紋とよく似ています。
丁字はインドネシア原産シソ科の植物です。 若い人なら丁字と云うより、ウースターソースの香りづけなどに使われるクローブ(スパイス)と云った方が分かりやすいでしょう。 大航海時代には、胡椒などと並んでスパイス貿易の主力商品としてヨーロッパに持ち込まれています。 日本人にも古くから馴染みがあり、江戸時代にはビンツケ油や匂い袋の香料として用いられたとあります。 丁字は海外渡来の高価な珍重物であるとともに、仏教においては宝物の一種であり、瑞祥的な意味もありましたので、家紋とされたようです。 家紋の形状としてはたくさんのバリエーションがありますが、丁字と書くぐらいですから釘の形が基本です。 英語で言うクローブ(Clove)も釘を意味するラテン語が出典だそうです。
日本十大紋の一つで、蝶や方喰と並んで女性に人気のある紋の一つです。 強い生命力、絵になる葉の姿から、藤原時代には既に文様として愛用されていたそうです。 戦国時代の武将として名高い藤堂高虎は、この紋を用いています。 また、八代将軍吉宗が出た紀州徳川家が替紋として蔦を用いたことから、権威のある家紋として認知され普及したそうです。 優雅ながらも他にまつわりつく性質から、芸妓や娼婦に好まれたという面白い話しも残っています。
鉄線というよりクレマチスといった方が、最近では通りがよいかもしれません。 キンポウゲ科の外来植物でとても美しい瑠璃色の花を咲かせます。 鉄線の名はその蔦が鉄線のように強いという所から来ており、日本には寛永年間に渡来して、菊唐草または唐草とも呼ばれました。 家紋としての歴史は浅いですが、美しい花弁を紋様にしたくなるのは人情ですね。 6枚の花弁をあしらったデザインが多いようです。
梛は竹柏ともいい、温暖な山林に自生するまき科の常緑樹です。大きく育つ高木で、 古来より神木とされており、紀州熊野神社や大和春日大社の神木として有名です。
梨には熱を下げ、せきやたんを鎮める薬効があるとされており、漢方薬にも「雪梨膏」という薬があります。 漢の武帝は、咽喉頭炎や気管支炎を患う者を助けるため、庭園に梨の木を植えたという故事もあるぐらいです。 一見、花弁に見える梨紋が、実は実の切り口をかたどったものであるのは、そういう薬効滋養の功徳を表現したものかも知れません。 ところで梨はバラ科の植物だそうでで、楚々とした美しい花を咲かせます。
初夢で見ると縁起がいいとされる「一富士、二鷹、三茄子」。 一説には日本三大仇討ち(富士の裾野の曽我兄弟、鷹紋の赤穂浪士、 茄子紋の「鍵屋の辻」の荒木又衛門)から取られたものという話しがあります。 茄子は古くは「奈須比」とも称され、解毒剤として薬用に用いられたそうです。 家紋として用いられるようになったいわれは明らかでありませんが、 剽軽でふっくらした絵柄がなんともユーモラスですね。
春の七草の一つ。 田んぼや道端などに生える植物で、別名ペンペン草といえばお分かりでしょうか。 紋は葉をかたどったものです。 身近な植物を紋にした例ですが、結構武家に使用されたらしく、仙台の伊達氏も用いたという記録があります。
秋の七草の一つです。 撫子は古来より万葉集の和歌や枕草子に登場しますし、日本女性のことを 「大和撫子」というぐらい日本人には馴染みの深い花の一つです。 中国風の呼称は石竹とも呼ばれ、別名唐なでしこといいますが、 双方同じものといって差し支えなく、撫子紋も石竹紋も同じ意匠のものが見受けられます。 美しい花だけに家紋に多く採用されました。 「マムシの道三」こと美濃の斎藤氏が名前に似合わないこの愛らしい紋を使っていたことが有名です。
寒い冬日にもきりりと引き立つ南天の赤と緑。 南天の赤色の実は、昔は長寿厄除けとして祝賀の時に用いられたそうです。 そのめでたさが家紋にふさわしいとされたのでしょう。 女性に好まれそうな絵柄が特長です。
ご存じ秋の七草の一つですね。 その可憐な風情が古代から風流人に愛され、器物や衣装などの文様として利用されてきました。 家紋としては抱萩、萩丸、割萩、束萩などあります。
異国情緒たっぷりの家紋です。古い紋帳には見あたらないことから、 成立は後生とされています。別名を優曇華ともいうそうです。
原産地はインドといわれ,日本には中国を通じて伝わりました。 仏像の台座に蓮華座というのがありますが、蓮華とは蓮の花そのものを指す言葉です。 家紋として成立は明らかでありませんが、仏教との関わりが深く、華やかかつ清純な花弁が愛されたからでしょう。 ちなみにレンコンは蓮根、つまり蓮の根茎のことです。断面が蜂巣のようですね。 ですから蓮のことを別名ハチスともいいます。
菱紋のバリエーションの一つです。 よく似た紋に花菱紋がありますが、花菱が菱の形になっていることに対して、 花角は角が立っており正方形の形になります。
菱紋のバリエーションの一つです。菱形の文様を四分してそれを四弁の花に見立てています。 唐花菱、唐花とも呼ばれており、もともと大陸伝来の文様とされています。 よく似た紋に花角紋がありますが、花角が角が立ち正方形の形になっていることに対して、花菱は菱の形になります。 菱と云えば武田菱が有名ですが、この花菱は武田家の裏紋でも知られています。 また花菱は江戸時代、商人に好まれた家紋でもありました。
<柊はモクセイ科の常緑樹で、葉の縁には鋭いとげがあります。 日本書紀には柊で矛を作ったという記述がありますし、平安時代には節分の豆まきに戸ごとに 柊をさしたという故事がありますから、柊には破魔の功徳があると信じられていたようです。 この柊パワーが家紋として用いられるようになった由縁でしょうか。 戦国時代には既に使われていたようです。
瓢箪はひさご、ふくべともいい、人為的に夕顔を変種させたものです。 巻き寿司の具になるかんぴょうの仲間です。 古代から酒の具として用いられ、酒にも縁が深く面白い形であるところが、家紋にされた由縁でしょう。 ユニークな形にもかかわらず、神社や社家でも使われていますし、豊臣秀吉の千成瓢箪はあまりにも有名ですね。
日本十大紋の一つです。 藤は風にそよぐ紫色の花弁がなんとも優雅な姿であるだけでなく、長寿で繁殖力の強い植物でもあります。 平安時代には既に衣服の紋様として使われていた記録があります。 藤原の里を下賜された中臣鎌足の末裔である藤原一族がもちいた紋の一つで、 藤原氏がとても栄えたことから、それにあやかる意味もあって、藤紋が普及していったとされています。 紋の形状としては花弁が垂れた下がり藤が基本ですが、下がるという言葉を嫌って、上がり藤などのバリエーションも作られました。
牡丹は中国原産の花で、富貴長寿のシンボル、百花の王として愛されました。 唐との文化交流により日本に伝来しましたが、そのゴージャスな美しさから早速日本でも栽培され、 平安貴族の詩に詠まれたり、衣服の文様として盛んに用いられました。 公家の近衛家の正紋として、江戸時代には菊、桐、葵の紋についで権威がありました。
松竹梅の筆頭に来るめでたい木です。常緑で樹齢が長いことから長寿の瑞木であり、門松飾りにも使われています。 松紋は威厳のある姿を具象的に表現したものから、デフォルメされたものまで種類が豊富で、珍しい意匠のものが数多く存在します。 松の木全体を描いたものは老松、若木を描いたものは若松、葉を櫛形に描いたものを櫛松と呼ばれています。
日本十大紋の一つ。日本原産、秋の草花である茗荷は物忘れの妙薬としてよく知られていますね。 また麻酔作用があること、邪気を払う草花をしても有名です。 ミョーガという音は神仏の加護を意味する「冥加」に通じます。 また煩悩を解脱させるとして民間信仰の対象であった「摩陀羅神」のシンボルが茗荷であるところから、 神仏の加護を受けられる、縁起がいいということで茗荷紋が誕生したとされています。 ですから神社や寺で使用されることが多い紋です。 杏葉(馬具の一種)紋の形とよく似ていますが、見分け方としては、葉脈があるのが茗荷紋です。
文様としては古く唐時代に用いられわが国へ伝来しました。 木瓜とも記しますので胡瓜の切り口を連想しますが、本当は地上の鳥の巣を表現したものとされています。 神社の御簾の帽額(もこう)に多く使われた文様であったので、もっこうと呼ばれるようになったと云います。 鳥の巣は子孫繁栄を意味し、神社で用いる御簾は吉祥であるということから、 めでたい紋とされ、織田信長を代表として家紋とした武家は多くあります。 その幾何学的で図案化しやすい絵柄からも分かるように、大変バリエーションの多い紋です。
山が紅く染まるのは本当に美しいですね。平安時代には「紅葉の賀」が催されるなど、 古来から紅葉(もみじ)は日本人に親しまれていたようです。 そういったことで貴族の間では、衣服の文様として愛用され、やがて家紋に転化したとされています。 紅葉(もみじ)は特定の植物名を差すものではありませんが、家紋では「楓の葉」が使われています。 葉単独のもの、葉と枝の組み合わせたもの、蝶形にしたものなど様々なバリエーションがあります。
桃は桜や梅と同じように美しい花を咲かせますが、古来実を食べれば長寿と魔除けになるとされていました。 孫悟空が天上界で不老不死の桃を食べて、下界へ追放されたお話はご存じですね。 これは中国のお話ですが、日本でも、イザナギノミコトが桃の実をなげて悪鬼を追い払ったという伝承神話(古事記)があります。 邪気を払うという信仰的根拠とその果実の美しさから、家紋とされたのでしょう。 神社の神紋に使われている事例があるぐらいで、とても珍しい紋の一つです。
山吹は古くから文様として使われ、万葉集にも歌の主題として詠まれています。 図形としては花のみのものや、花と葉の組み合わせたもの、水を添えたもの、抱山吹、杏葉山吹などの変形があります。
蘭は異国的な情緒のある花として、古くから日本人に知られており「日本書紀」にも記述が残されています。 美しい姿で珍重された花ですが、やはりポピュラーでないせいか、蘭を家紋とした家は極めて少ないようです。 紋としてはを写実的なもの、丸形や菱形などに抽象化したものがあります。
竜の胆と書いて中国語でリュータン、日本人はその音をリンドウと発音しました。 晩秋に楚々とした紫の花を咲かせる野草で、葉が笹に似ているのでササリンドウとも呼ばれます。 日本人には古来から愛され草花で、万葉集にも登場します。 平安時代にはすでに紋様として、衣装・調度品・乗り物などの装飾に使われました。 竜胆は源氏とゆかりの深い紋としてよく知られており、古くは源義経や木曽義仲、 江戸時代には清和源氏ゆかりの武家がすべて用いたとされています。 いまでも鎌倉市では市章に竜胆を使用しています。花と葉が織りなすラインが美しい紋ですね。
蕨は万葉集にも登場する日本人には縁の深い食用植物です。 発芽してすぐは、ご存じのように葉と茎がくるくるとゼンマイ型に屈曲しています。 紋としてはユニークで面白い形ですが、武家にも使われています。